デザインの「修正」に対して思う

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今回は「デザイン修正」が起こった時の、デザイナーとクライアントとのコミュニケーションを考えてみました。

みなさんはクライアント、もしくは自分に仕事を発注するディレクターさんと、どんな意識の擦り合わせをしていますか?
例えば、ちょっと規模の大きいシステム開発の場合、「こんな風に動くものを作ってよ」と言われてすぐプログラムを組むデベロッパってそういないですよね。
実はシステム開発における予算の大半は「設計(要件定義を含む)」に当てられるほど重要なフローなんです。
つまりこの「設計」というフロー無しには、手を動かして作業出来ない(乱暴に言えば)ということです。
一般的なデザイナーの仕事にとって大変懸念すべき点があります。
それは「デザイナーのワークフローには設計や要件定義を行うフローをしないでデザインする事が多すぎる」んです。
今、とくにWeb制作の中で「デザイナーとデベロッパ」とまるで異次元の人種のようにぶった切られていますが、ホントにそうなんでしょうか?
僕はデザイナーですが、なぜ僕らは彼らデベロッパーのワークフローを踏襲出来ないんだろうか?と考えています。
「修正」
みなさんも好きな言葉ではないと思います。
何時間もかけて、あるいは一晩かけて最高のクオリティに仕上げたロゴやビジュアルを「イメージと違うんだよね」と言われて修正を食らう。
開発現場とデザイン現場にいた経験から、傾向としてはデザイン現場の要件定義フローは軽視されているようです。
【開発】
システム開発で後から修正を入れること自体プロジェクトを危険にさらすから最初にしっかり設計すること。
【デザイン】
上記の開発フローほど厳密に設計などを行わない傾向が高く、デザインの変更は後からでもなんとかなる、と思われがち。

システム設計ばりの「デザインの要件定義」をすること

「まあ、ちゃっちゃっと作ってみてよ」なんて言う人とは仕事はしないです。
少なくとも、デザインをアタマの中でイメージ出来る人はいいのですが、少なくともそんな人から来る仕事は割とスムーズに行くケースがあるので、打ち合わせ段階でコンセンサスを得やすいのです。
ただし問題は「何案か見てみたい」と言われた時のこと。
ほとんどが複数案を提案します。
ただし、今回問題としているのは、打ち合わせ段階でどれだけイメージが集約された複数案なのか?
それともただ、イメージが全然沸かないから、という理由の複数案なのか?
これの大きな違いが、最終的にクオリティやデザイナーの評価を落とす原因にまで発展します。

「何案か見てみたい」…この最悪のケースを想定する

発注者はこの時点で「キーカラーは何色にするのか」「ロゴのテイストはどうするのか」「ビジュアルは写真でいくのかイラストでいくのか」等といった具体的なイメージは出来ていません。
ここでそのまま持ち帰って多数案を提出した最悪のケースへの一歩がこれです。
「もっと別の案も見てみたい」
しかし、その背景(真実)はこういう事だったのです。
(案が多すぎて逆に決め切れなくなった)
つまり、集約するべきアイデアが分散してしまい、正常な判断が出来ない状況に陥った結果です。
こういった原因を作ってしまった張本人が僕らデザイナーだったりします。
そこにクライアントやディレクタの悪口を言うのは違います。
つまり提案が多ければいい、という段階はここで行うべきじゃなかった、ということです。
もっとそれ以前のコミュニケーション作業に答えがあります。

最悪のケースとは

こっちは一生懸命作ります、何案も。

でもその中の1つ以外はボツになり、ヒドい時はどれも決まらず全部ボツになる。
それが分かっている中で、全力を注ぐのは苦しい。
さらに多くの案に時間をかけると、一つ一つの案のクオリティを保つのは至難の業です。 
出来るだけ細部のクオリティに配慮できる時間や気持ちのゆとりが欲しいです。 
これがないと、別に手を抜いているつもりはなくても配慮に対する行動が手薄になりがちです。 
そう、自分が気づかないうちに。
僕はそれを「デザインに若さがない」という。 
若さというのは若者受けという意味ではなく、「あ、精神的に元気がいい状態でデザインしたな」という感じがつたわる空気みたいなものです。 
要は無駄が多いと、言葉では「頑張ってます」でも、クオリティは落ちるのです。 
メカじゃないから人間疲れます、色んな感性が疲れます。 
だから細部に行き届かない。 
だから無駄をすると、自分のクオリティ評価が下がるし、クライアントも幸せになったかというと疑問だし。
死ぬほど徹夜もして疲労困憊な中、努力したのに、クオリティも出せず、最後までデザインもまとまらず評価は最悪、、つまりこれが最悪のケース。

だからもっともっと相手とコミュニケーションをとるんです。

相思相愛の関係で生まれる不思議なコンセンサス

会話の中で、その人が好きなことや気になっていることをすくいあげて、会話の中に弾ませると、相手はもっと自分に興味を示してくれる。
お互い疑心暗鬼になっている状態だと、どちらかがいい案を出しても、ちょっと疑いたくなるのは心情。 
でも、好きになってくると、その人の意見をさらに膨らましてやろうじゃないか!という意欲すら沸いてきます。 
不思議です、今までそういうことが何度もありました。 
そうすると、ここで一旦まとめましょうよ、って場を仕切りやすくなるんです。 
クライアントの前でも「無駄がないように短期間で最高のものを仕上げさせてください」って意思表示が出来る空気にさせてしまうんです。 
無駄、という本質を理解してもらうのもデザイナーのコミュニケーション能力として大事なことです。 
決して楽をするためじゃなく、この仕事に愛情を注げる状態を僕に下さい、と言ってるようなものですからクライアントも徐々に信用してくる。 
そうすると、もう何案も「闇雲」に作るんじゃなく、「自分でも数案試してみたいんですよ」という状態まで持って来れる。
その数案はとても価値があるチャレンジだと思っています。

クライアントにコンセンサスを得るまで手は動かさない

この小見出しが全ての答えなんですが、案をいくつか出すにしてもプロジェクトコンセプトに対して理解するまでは絶対に手は動かさない(要はPCでデザイン作業をしない)ようにします。
理由はたった1つ。
的外れな案に労力をさくより、適案に最大限の時間をかけ、クオリティと「若さ」を全力で注ぐべきだから。
これにおける行動は重要ですが、ある意味、精神/体力勝負ともいえます。
これはクライアントに対し可能な限り要求を聞き出し、自分は持ってるだけのアイデアの引き出しをその場で広げます。
そこで的外れな案を相手に指示させないようにするには、こちらからのそれを覆すだけの理由が必要です。
がしかし、これは「知識」だけ突きつけてもダメな場合があります。
人を引きつける話術で覆すことも時として必要なんです。
しかも人間、フリスクの過去のCMのように、会議が長引くと思考が切れてモチベーションも下がるので、これらを出来るだけ短期間で行います。
そうでないと、余計な疲労が思考を妨げるから、良案もそう見えなくなってくる危険だってあるのです。
ここまで徹底的にやり切ってそこから数案を考える、という話に持っていくことが重要です。
何案か出す時には、より、その案が絞り込まれた中での案なのか、を打ち合わせ段階で明確にしましょう。
ちなみにクライアントにとっては、場合によっては非常に面倒くさがられることがあります。
「そんなことより早く作って見せてよ」というのが本音だからです。
ただし、ここを怠るともうすでに、システム開発では当然の「要件定義」を放棄しているようなもので、今までの経験からすると、こういったケースは最終的に「クオリティに全力を注げなかった残念なケース」に近づいていきます。
クライアントから気に入られたいがために、夜を徹して体力限界まで多数の案を製造してしまいがち。
しかもその状態で求められるクオリティはほぼ「完成形」に近いほどのクオリティだったりするのがほとんど。
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若い頃から長く経験して思いますが、
精神状態や体力が良好なときに仕上がるデザインと、劣悪な状況で仕上がるデザインのクオリティを両者均等に保てる人なんてまずいません。
人間、クリエイティブとか感性とかを思考する行為って、単純ではありません。
もっとデリケートなもので、「強くなれ」とかいう概念とは次元が異なります。
クオリティは自身の様々な状況に影響します、それも自分が気づかないところで。

理想と現実

色々書いてきましたが、結局「そんな事言っても現実はそうはいかない」と反感を持たれる人もいると思います。
その通りで、場合によっては面倒くさがられて次から仕事が来なくなります。
自分がデザイナーとしてどう生きていきたいか?という大きなテーマに発展しうる問題です。
「やっぱりこの人にお願いしたい」
「この人にお願いするとちょっと高いけど、それでもいいものを作ってくれる」
「この人にお願いする場合、発注する側も刺激になっていいよね」
そんな風に思われるデザイナーになり、今後も高く評価されながら頼りにされることを目指したい。
そう思うなら、手先が器用なだけでなく、コミュニケーションを放棄しないデザイナーであり続ける事だ、と考えます。
話が戻るけど、システム案件の「設計」が必要なように、僕たちデザイナーもイメージの設計というフローが必要です。
そして業界全体のフローを自分自身で変えていければ、僕らの未来もきっと良いものになるでしょう。